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なぜなら、肉体が見えている(自分の身体がまだある)ということ自体が、(自我と同一化した者から見れば)「犠牲が限定されていて、まだ何かがあなただけのものとして残っている(まだ完全には奪い取られてはいない)」ということを示すしるしとなるからである

 肉体が囲い取るわずかなものが自己となり、他のすべてを犠牲にすることによってその自己が温存される。 そして、他のすべてはこのわずかな部分を失わなければならず、この部分は自らのアイデンティティーをそのまま保とうとして、不完全であり続ける。 あなた自身についてのこのような知覚においては、肉体が失われることはまさしく犠牲であるだろう。 なぜなら、肉体が見えているということ自体が、「犠牲が限定されていて、まだ何かがあなただけのものとして残っている」ということを示すしるしとなるからである。 そしてこのわずかなものをあなたに所属させるために、外側のすべてのものに限界が課せられ、あなたが自分のものだと思っているすべてのものにも限界が課せられる。 与えることと受け取ることは同じだからである。 そして肉体がもつ限界を受け入れることは、あなたが見る兄弟の一人ひとりにこれらの限界を押しつけることである。 なぜなら、あなたは必ず自分自身を見る通りに兄弟を見るからである。

 

奇跡講座テキスト  第26章  一 一体性の「犠牲」  3.