正しい心は、自らの意志が神の意志よりも強いと信じることはできない。 それならば、もし心が自らの意志は神の意志とは異なると信じるなら、その心が下せる結論は、神は存在しないということか、神の意志は恐ろしいものだということかのどちらかでしかない。 前者は無神論者が存在する理由であり、後者は神が犠牲を要求すると信じる殉教者が存在する理由である。 これらの狂った結論はいずれも、パニックを引き起こす。 なぜなら、無神論者は自分が天涯孤独だと信じ込み、殉教者は神が自分を十字架にかけていると信じ込むからである。 だが、たとえ多くの者たちが見捨てられることや報復されることを追求することはあっても、そのどちらをも真に望む者はいない。 あなたは聖霊にこのような「贈り物」を求めて、実際にそれを受け取ることができると思うのだろうか。 聖霊はあなたが望まぬものをあなたに与えることはできない。 あなたは、自分が望まぬものを普遍なる与え主に求めるとき、一度も創造されたことがないゆえに与えられることが不可能なものを求めているのである。 それが一度も創造されなかった理由は、それがあなた自身のためのあなたの意志だったことは一度もないからである。
奇跡講座テキスト 第9章 一 実相の受容 8.