自我の弟子たちは、自分が自分自身を死に捧げたのだと悟ることはできない。 彼らには自由が差し出されているが、彼らはそれを受け入れていない。 また、差し出されたものが真に与えられるためには、それが受け取られることが必要である。 なぜなら、聖霊もまたコミュニケーションの媒体であり、父からメッセージを受け取りそれを神の子に差し出しているからである。 自我と同じように、聖霊は送り手であると同時に受け手でもある。 なぜなら、聖霊を通して送り出されるものは、それ自体を探しながら進んでいき、探しているものを見つけて、聖霊のところに戻ってくるからである。 それと同じように、自我も自分が探している死を見つけ出し、それをあなたのところにもち帰る。
奇跡講座テキスト 第19章 四 平安への障害 B. 第二の障害 ― 「肉体は、それが提供するもののゆえに価値がある」という信念 ⅰ. 苦痛の魅力 17.