肉体そのものがすなわち損失であり、犠牲にされ得るものである。 そしてあなたが兄弟を肉体と見なし、あなたから離れて彼の独房の中で個別に存在しているものと見ている間は、あなたは彼とあなた自身に犠牲を要求しているのである。 神の子に、父をなくした自分自身を知覚するよう求めること以上に、大きな犠牲の要求があり得るだろうか。 そして父にわが子をなくした存在となるよう求めることも同様ではないだろうか。 だが、犠牲の一つひとつが、彼らが分離して他方をなくした状態でいることを要求している。 もし何らかの犠牲が誰かに求められるなら、必ず神についての記憶が否定される。 神の子の全一性を証しする証人は、どれほど真理を証ししていようとも、分離した肉体の世界の中では、いったい誰の目にとどまるだろう。 彼はこのような世界では不可視のものである。 また、融合と愛を歌う彼の歌も、まったく聞かれることがない。 それでも、彼には、自らの歌の前でこの世界を退かせ、肉体の眼を彼の視覚へと入れ替える力が与えられている。
奇跡講座テキスト 第26章 一 一体性の「犠牲」 4.