肉体を通して楽しみを求めるなら、苦痛を見出さずには済まない。 この相関関係を理解することは非常に重要である。 なぜなら、これが、自我が罪の証拠と見なしているものだからである。 それは実際には、まったく懲罰的なものではない。 それはあなたが自分自身を肉体と同一視することの必然的な結果にすぎない。 そして肉体とは苦痛への招待である。 なぜなら、それは恐れに向かって、中に入ってきて自分の目的になってほしいと招待することだからである。 罪悪の魅力も必ず恐れと一緒に入ってくることになり、それゆえに、恐れが肉体に命じる行為はすべて苦痛を伴う。 肉体はすべての幻想がもつ苦痛を共有し、楽しみの幻想はいずれ苦痛と同じものとなる。
奇跡講座テキスト 第19章 四 平安への障害 B. 第二の障害 ― 「肉体は、それが提供するもののゆえに価値がある」という信念 ⅰ. 苦痛の魅力 12.