罪の「聖性」は、ただこの奇妙な仕組みによってのみ、その場に保たれている。 真理だとすれば、それは神聖にして犯すべからざるものであり、裁きを受けるためにすべてがそれのもとに運ばれることになる。 間違いだとすれば、それが真理のもとへと運ばれなければならない。 罪に対して信を抱くことは不可能である。 なぜなら、罪とは不信に他ならないからである。 だが、間違いは訂正され得るということに、信を抱くことは可能である。
奇跡講座テキスト 第19章 二 罪と誤り 6. /2
罪の「聖性」は、ただこの奇妙な仕組みによってのみ、その場に保たれている。 真理だとすれば、それは神聖にして犯すべからざるものであり、裁きを受けるためにすべてがそれのもとに運ばれることになる。 間違いだとすれば、それが真理のもとへと運ばれなければならない。 罪に対して信を抱くことは不可能である。 なぜなら、罪とは不信に他ならないからである。 だが、間違いは訂正され得るということに、信を抱くことは可能である。
奇跡講座テキスト 第19章 二 罪と誤り 6. /2