神と共に考えるというのは、神と同じように考えるということである。 罪悪感は、あなたの思考が不自然であることの確かなしるしである

私は以前、あなたはと共に考えることを学ばなければならないと言った。 と共に考えるというのは、と同じように考えるということである。 これは自然なことであるから、罪悪感ではなく、喜びを生み出す。 罪悪感は、あなたの思考が不自然であることの確かなしるしである。 不自然な思考とは罪への信念であるから、それには常に罪悪感がつきまとう。 自我は、罪を愛の欠如とは知覚せず、積極的な攻撃の行為として知覚する。 自我が生き残るためにはこれが必要である。 なぜなら、罪を欠如と見なすやいなや、あなたは自動的にその事態を改めようとするからである。 そして、あなたはそれに成功するだろう。 自我はこれを破滅と見なすが、あなたはそれを自由と見なすことを学ばなければならない。

 

奇跡講座テキスト 第5章  五 自我による罪悪の使用  4. /2