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(苦痛と快楽が運ぶメッセージは同一のものであり、)「あなたはここにあるこの肉体の中に存在しており、傷つくことがあり得る。 あなたは快楽を得ることもできるが、それは苦痛という代価によってのみ可能となる」というメッセージである

 罪は苦痛から快楽へ、そしてまた再び苦痛へと移行する。 どちらの証人も同一のものであり、ただ一つのメッセージだけを運んでいくからである。 すなわち、「あなたはここにあるこの肉体の中に存在しており、あなたは傷つくことがあり得る。 あなたは快楽を得ることもできるが、それは苦痛という代価によってのみ可能となる」というメッセージである。 これらの証人に、さらに多くの証人が加勢する。 証人はそれぞれ異なった名前をもつがゆえに、異なっているように見え、そのため、異なった音に対して応答するかに見える。 この点を除けば、罪の証人たちはみな同じである。 快楽を苦痛と呼べば、それは傷つけるものとなる。 苦痛を快楽と呼べば、快楽の陰に隠れて苦痛は感じられなくなる。 罪の証人たちは、ひとりが一歩前に出ればもうひとりが一歩後ろに下がり、それに伴って名前が変わるだけである。 しかし、誰が一番前にこようと何の違いもない。 罪の証人たちは死の呼びかけだけを聞く。

 

奇跡講座テキスト  第27章  六 罪の証人たち  2.