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自分の憎しみを見てその全容を認識することが、なぜこれほど重要なのか、あなたは不思議に思うかもしれない。 また、あなた自身が憎しみを自覚しなくても、聖霊がそれをあなたに見せて消し去ることは、充分に容易なはずだと考えるかもしれない。 だが、あなたは恐れ(自我)を恐れてはいない(嫌がってはいない/受け入れている)のである

 自分の憎しみを見てその全容を認識することが、なぜこれほど重要なのか、あなたは不思議に思うかもしれない。 あなたはまた、あなた自身が憎しみを自覚しなくても、聖霊がそれをあなたに見せて消し去ることは、充分に容易なはずだと考えるかもしれない。 だが、あなたが自分自身と贖罪との間に置いた障害が、もう一つある。 恐れを認識したなら、それを黙認する者など誰もいないと、私たちはすでに述べた。 だが、あなたの無秩序な心の状態においては、あなたは恐れを恐れてはいないのである。 それを好んではないが、あなたを真に恐れさせているのは、攻撃への欲求ではない。 あなたは自分の敵意に深刻に悩まされてはいない。 あなたはそれが覆っているもののほうをもっと恐れているがゆえに、それを隠しておくのである。 自我なくしては、もっと恐ろしい何かを自分の中に見出すことになると信じていなければ、あなたは自我の最も深い闇に覆われた隅石すみいしでさえ、恐れずに正視できただろう。 あなたは実際には十字架刑を恐れているのではない。 あなたの真の恐怖は、救いに対する恐怖である。

 

奇跡講座テキスト 第13章  三 救いに対する恐れ  1.