最終更新: 作成開始: 4-08-04 最後↓
コメント投稿者さまへ、こちらに回答します
質問者様よりコメント欄に書き込みがありましたので、新規ブログ記事で回答します。
質問のあったブログ記事は「神は自分を放棄して神を愛そうとするあなたより、神を愛さないあなたの意志のほうを尊重する」になります。
投稿されたコメントを引用
ブログ記事 https://acim.jimdofree.com/attack-on-god/ に Rumi さんからコメントがありました
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ここでの「あなた」は誰になるのでしょう?
一つ心ですか、
KEN(管理人)による回答
もしかすると質問者さまの書き込みが途中だったのかもしれませんが、確かに混乱のポイントではあるのでもう少し説明をしたいと思います。
ここでの「あなた」は誰になるのかですが、「今のあなた」と「あなた自身」です。 いずれもあなたという言葉で表現していて、これが混乱の原因ですね。 後ほど詳しく説明します。
「一つ心」は、おそらく「一なる心」のことを指しているのだと思いますが、ここでの「あなた」は「一なる心」のことではありません。
ダイジェスト解説
重要な部分を簡単に解説します。
記事内の文章:
「あなたがあなた自身に対して行うことは神に対して行うことである。」
→「今のあなたがあなた自身を見棄てるなら、いくら今のあなたが神の意志に沿おうとし、神を愛していると言っても、実際のところあなたは神を見棄てている。」
ブログの表題:
【神は自分を放棄して神を愛そうとするあなたより、神を愛さないあなたの意志のほうを尊重する】
→【自分自身を放棄して神を愛そうとする今のあなたより、「神を愛さない」と言っているあなたの本心のほうを神は尊重する】
たとえそれが「神を愛さない」だとしても、神を信頼して正直に本心を吐露してくれた、その正直さこそが「神を愛してくれた」と神は見ている、ということ。
詳細解説
以下の説明は、もし仮に、という話です。
もし仮に、今のあなたがあなた自身のことを神が善しとする生き方、「神の意志」、それは赦すこと、その赦しがちゃんとできない、赦しの準備すら整うことのできない、だから辛いことばかり、不幸ばかり、不幸が終わらない、幸せになれない、ポンコツ、力不足、ダメな存在、自分はそんなダメで不完全で卑小な存在だと見なしている人だとします。そのような人がとても多いので件の記事は書かれました。
今のあなたにはこの「ダメで不完全で卑小な存在」に見える自分自身、これこそが自我であり、この自我である自分自身を退治することが必要だと思っています。つまりコントロールする必要があると思っています。
ですから、人によってはこの「ダメな存在」である自分自身を無視し、見ないようにし、見棄てて切り捨て、つまり放棄して、神を愛そうとします。 それが「神の意志」だと聞かされていますから。
神を愛することが神に愛され、自我を解除し赦しが出来るはず、神も協力してくれるはずと思うかもしれませんが、「ダメな自分」を今のあなたが見棄て、その代わりに神を愛したとしても、神は「神を尊重するあなたの意志を尊重しよう、だからあなたに協力しよう」とはならず、見棄てることを意志したあなたの意志を神は尊重する、つまり「今のあなたを見棄てたままにする」という意味です。「神を見棄てることを選んでいるのだから、あなたの意志を尊重して、神もあなたから見棄てられたままでいよう」です。
もう一つの意味は、
もし自分の本心に耳を傾けることができたとして、実はその自分が「神なんか愛したくないんだ!」と言っている場合があります。(ほんとうにそう言っている場合があります。) 神は、その声のほうを尊重しますよ、という意味です。 つまり、「自分の気持ちに正直になって本心を吐露してくれた。あなた自身を棄てて神を尊重してくれることよりも、たとえそれが神を愛さないと宣言することだとしてもその本心こそが尊重に値する」という意味です。 繰り返しになりますが、たとえそれが「神を愛さない」としても、神を信頼して正直に本心を吐露してくれた、その正直さこそが「神を愛してくれた」と神は見ている、ということです。
今のあなたにはまったく信じられないかもしれませんが、この「ダメな存在」に見えるのは今のあなたがそのように見ているだけであって、実はこのままで「完全完璧な存在」なんです。これが本当のあなたなんです。あなたの実相であり、神なんです。ちゃんと見ることが出来れば。ちゃんと見てあげることが赦しです。
ですがこの赦し、「ダメな存在」の自分を今のあなたが受け入れ、和解し、味方し、尊重し、これまで咎め非難してきたことの非を認め、謝罪し、これまであなたが酷い接し方をしてきたのによく耐えて頑張ってきてくれたことを詫び、この「ダメな存在」に見える自分自身に対して感謝そして慈悲の思いが湧いてこないかぎり、つながることができません。これが「自分とつながる」という話です。自分に対する慈愛、自分を愛することです。
自分とつながらないかぎり、赦しは始まりません。 敵対視していれば会話は成立しませんから、メッセージが聞こえない、受け取れない、ということです。
これは頭で考えてできることではありません。 誰かに言われてできることではありません。
「ほんとうにそうしたい」という愛の発露が必要です。
「幸せになるために、そうしたい」とかでは無理です。 「幸せになるために」といった条件付きでは無理です。
無条件である「不幸になってもいいから私はそうする」、つまり「このダメな自分と心中する」覚悟です。
準備ができていない今、これにはものすごい恐怖を感じるはずです。
だから選べません。
今のあなたこそが自我だから。
この自我が弱まらないかぎり無理です。
まだ自分とつながっていない今、やれることは、今のあなたを今のあなたが愛することです。
自我かもしれませんが、この自我である今のあなたがどうしたいのかを聞いてあげることです。
そしてそれをさせてあげることです。
実は、今のあなたは今のあなたを愛しています。気に入っています。だからすでにしたいことをこうやってしています。
それが自分自身を咎めることや切り離し見棄てることだとしても。
あまりにも当然のこととしてこの咎めることをあなたは今自動的に無意識にやっているかもしれませんが、今の自分にちゃんと耳を傾けて確認することが大事です。自覚することが大事です。
「今の私はこれがしたい。だから私はこれをする。」(例「今の私は、自分自身がちゃんと出来るように自分自身に指図したいし、適切に指示すればできるはず。 これまでもそうやってきた。 もちろんうまくやれるようになればその自分を褒めたいし、ちゃんと出来なければ咎めたいし攻撃したい。 だから私は自分自身に対して命令するし、うまく出来なければ非難することを選択する。 その選択を今の私に対してオッケーする。 それが今の私のやりたいことだから。」)
この認識、この許可が大事です。
認識して行う。経験する。 経験することで、あなたは何かに気づき、次の意志決定につなげます。
奇跡講座の教え
今のあなたが自分自身を嫌っている理由がここにあります。
熟考されることをお勧めします。
あなたが自分の自己を軽蔑している理由は、それが、自分自身が要求している特別性を提供してくれないと考えるからである。 そしてそれを憎悪することによって、あなたはそれを卑小で無価値なものとしてしまった。 その理由は、あなたがそれを恐れているからである。
奇跡講座テキスト 第16章 五 完成のための選択 10. より

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