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癒すことと癒されたいは違うという話です。
それは主体がどこにあるかです
当たり前ですが、「癒す」ことと「癒されたい」ことは違います。
その違いはあなたを誰が癒すのか、その主体です。
あなたなのか、あなた以外なのか。
あなたを癒す鍵を握っているのは誰かということです。
もちろん「癒されたい」と思ったっていいですよ!
「癒してほしい」と思ったっていい。
そのためにあなたは行動するかもしれません。 「癒しを与えてくれる」人を探すかもしれません。 癒してくれる人がきっとどこかにいると信じて。
そしてどこそこに行けばそういう人がどうやらいるらしい。 行ってみて、実際に癒されるかもしれません。
それはそれでいいでしょう。
ですが、どこへ行ってみたところで、真に癒すには結局は自分で癒す選択をするしかないことに行き当たります。
だからその次に来るのは、自分を癒すにはどうやったらいいのか。 これもまた捜しまわる旅にあなたは出るかもしれません。
こうやればいい、ああやればいい。
これを使えばいい。 あれを使えばいい。
外の世界から手に入れたあらゆるものであなたは試すかもしれません。
そしてそれも失敗します。
そうしてようやく、外側のものではなく内側のものを使って癒すことに行き着きます。
癒しとは赦しです。
その方法を求めるとき、あなたは正しい場所に居ます。
赦されたいと求めてはならない。 それはすでに達成されている。 それよりも、どうすれば赦すことができるか、どうすれば常に存在していたものを、自分の赦そうとしない心に回復させられるかを学びたいと、求めなさい。
奇跡講座テキスト 第14章 四 贖罪におけるあなたの機能 3. より