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慈愛とは、他者を見るときの一つの見方であり、その人が時間の中で実際に達成しているレベルよりも、はるかに進んだところ(つまりはキリストのごとく/聖性として)に居るかのように、その人を見る

 慈愛とは他者を見るときの一つの見方であり、その人が時間の中で実際に達成しているレベルよりもはるかに進んだところに居るかのように、その人を見る。 彼自身の思考は間違っているので、彼には自分で贖罪を見ることができない。 それができていれば、もともと彼に慈愛の必要はない。 彼に与えられる慈愛は、彼が助けを必要としていることの確認と、彼はそれを受け入れるだろうという認識の両方である。 この二つの知覚は、どちらも時間に依存していることをはっきりと示しているので、慈愛は依然としてこの世界の制限の枠内にあることは明らかである。 私はすでに、啓示のみが時間を超越すると述べた。 慈愛の一表現である奇跡にできることは、時間を短縮することだけである。 しかし理解されなければならないのは、あなたが他の人に奇跡を差し出すときはいつでも、あなたと彼の両方の苦しみを短縮しているという点である。 これが、遡及そきゅう的にも前進的にも訂正を行うことになる。

 

奇跡講座テキスト 第2章  五 奇跡を行う者の機能  10.