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赦しに必要なたった1つのこと。
みんなこの1つが無いためにいくら赦しに取り組んでも成果が出ない、機能しない。
これまでにも同じことがらを学習教材の中で表現してきたが、今日はそれをさらに明確に言語化するべく記述しようと思う。
幸せになることよりも「真に知りたいか」
あなたは幸せになるために赦しに取り組んでいるかもしれない。
この苦しい状況を脱するため、楽になるため、心を平安にするため、この辛い状況を何とかしたいがために取り組んでいるかもしれない。
それでは赦しはうまくいかない。
「もはや幸せになるかどうかなんて関係ない! そんなことはもうどうだっていい。 ただ本当のことが知りたい。 真実がどうしても知りたい。 つまり真に知りたい。 本気で知りたい!」
真に知りたい > 幸せになりたい、楽になりたい、苦悩から脱出したい、何とかしたいし、何とかして欲しい
これがどうしても必要。
誰しも幸せになりたいし、楽になりたい、この苦しみから脱したいと思うもの。 それを思うなと言っているのではない。 思っていい。 ただ、それ以上に「真実が知りたい!」と本気で思えるかが重要だということ。
これがつまり「本気か」というあなたの答えになる。
「本気で赦したいのか」に答えることになる。
この思いは両面感情を持たない。 何かが嫌だからそうするというものでもなく、不満を何とかするための宣言でもない。
ただ純粋にそうしたい、「真実が知りたい」。 これがとても重要、いや最重要だと考える。
心は、知ろうと意志するときにのみ、その正しい機能に戻る。
奇跡講座テキスト 第3章 四 誤りと自我 5. より
これはまさに「最後の質問」に答えること
これはテキスト第二十一章にあるⅦ.「未回答の最後の質問」で言及されていることである。
自分を支配する世界の代わりに、自分が支配する世界を、私は欲するだろうか。
自分が非力ではなく力をもつ世界を、私は欲するだろうか。
敵がいなくて、私が罪を犯すことなどできない世界を、私は欲するだろうか。
そして、真理であるがゆえに自分が否定したものを、私は見たいだろうか。
奇跡講座テキスト 第21章 七 未回答の最後の質問 5. より
あなたはすでに最初の三つの質問には答えているかもしれないが、最後の質問には答えていない。
奇跡講座テキスト 第21章 七 未回答の最後の質問 6. より
あなたがいまだに未回答のままにしている最後の質問に対する自分の答えについて、慎重に考えてみなさい。
これは私が見たいものだろうか。 これを私は望むだろうか。
奇跡講座テキスト 第21章 七 未回答の最後の質問 8. より
これがあなたにとっての唯一の決断であり、何が起こるかを決める条件である。
奇跡講座テキスト 第21章 七 未回答の最後の質問 9. より
最後の質問に「はい」と答えることにより、あなたは他の質問についてすでに下した決断を真摯なものにする。 なぜなら、そのときはじめて、あなたは再び決心を変えるという選択肢を放棄したことになるからである。 その選択肢があなたの望まないものとなったとき、他の質問はすでに完全に答えられている。
奇跡講座テキスト 第21章 七 未回答の最後の質問 11. より
どうしたらいいか
残念ながら「方法」はない。
「どうしたら」という質問は、目的に達するためにする質問であり、それは獲得思考すなわち自我からのものである。
普通に生きていればそれは「人格の自分(自我)」として生きているので、人生は必然的にハードモードになる。 つまり、苦悩するように出来ている。
苦悩がいくところまでいけば、いずれは「他に道があるはずだ!」と本心からの叫びがようやく耳に届く。
そのときがタイミングだ。
実際のところ多くのスピリチュアル教師たちが経験してきたことだ。
幽閉された意志は、その極限においては、まったく耐えられなくなるような状況を生み出す。 (中略) いずれは誰もが、たとえ漠然とでも、もっと良い道が必ずあるはずだと認識し始める。 この認識がさらに確固としたものになれば、それが転換点となる。
奇跡講座テキスト 第2章 三 神の祭壇 3. より
それ以外となると以下になる。
「自分はどうしたいの」という問いかけを自分にすることを習慣にすることだ。
「本当の自分(本心)」と、「人格の自分(自我)」がおり、通常は「人格の自分」が答えることになる。
「本当はどうしたいのか」という問いを自分にして、自分は退く。 邪魔をしない。
「本当の自分」に答えさせるのだ。
これまで多くの人を見てきたが、そのほとんどが「本当の自分」とのアクセスが取れていない。
自分の本心が聞けていないのだ。
なので、まずは自分の本心に耳を傾ける練習を行う。
あなたが赦しや『奇跡講座』に取り組んでいるのはひょっとすると「人格の自分(自我)」がやりたいと言っているものかもしれず、本心は実のところそれを望んでいないかもしれない。
本心が望んでいないものを取り組んでもほとんど意味はない。
本心は常に赦しや『奇跡講座』をやりたがる訳でもない。
もちろんいずれは赦しや『奇跡講座』を選択するときも来るだろう。
だが、本心にもその時々に応じて望みは違う。
それをきちんと聞いてあげてそれに従うのだ。
本心が赦しをやりたい、真に知りたいと言うときがそのタイミングだ。
それを確認しないまま、赦しや『奇跡講座』に取り組む人がなんと多いことか。
本心が本気でそうしたいと望むことがすべてのスタートキーだ。
だが、本心を聞くことにみんな慣れていない。
それもそのはず、親や社会から問いかけてもらえることはまずなく、そのほとんどが指示命令だからだ。
そのように育ち、そのような人や社会に囲まれていると自分自身が彼らと同じようなコミュニケーションスタイルを確立させてしまう。
すなわち自分自身に対して指示命令するようになる。
つまり「あれをしろ、これをやれ。 それはするな、それもダメ・・・」
決してどうしたいのかを聞くようなことはしなくなる。
(ほとんどの人が自分自身へのコミュニケーションがどのようになっているかすら気づいていない。)
一番かかわりの深い人、つまり親が指示命令ではない適切なコミュニケーションをしてくれる人であったなら、本心につながりやすかっただろう。
だが、そんな親を持つ人はほとんどいない。
ならどうするか。
自分がそのコミュニケーションを担うことだ。
自分に対して指示命令ではなく、たえず「ほんとうはどうしたいの?」と問いかける習慣を持つことだ。
だが、一人で習慣を変えるのは非常に難しい。(とはいえ、覚悟の問題だが。)
適切なコミュニケーションを取ってくれるコーチやカウンセラーを身近に置いて本心に向き合う機会を多く作ることも役立つだろう。
『奇跡講座』のワークブックに取り組むことでもそれは発揮される。
ただし、独学ゆえ難易度が高い。
コツコツ取り組める人にはいいかもしれない。 信じることも受け入れることも必要なくただやればいいだけだから。
ワークブックは、まさに朝晩の自我が弱まったタイミングでワークするように指示されている部分が多い。 そして、そのワークの多くは自身への問いかけだ。
いずれは本心にアクセスする回路につながる。
ワークブックで達成させようとしているのは、まさにこのことだ。
とにかく本心に耳を傾け、それに従う、これに尽きる。
そして本心が本気で取り組むと言わないかぎり、赦しは不可能となる。
成立しないのだ。
これが多くの人が赦しがうまくいかない理由である。
とはいえ、この経験がまったく意味がないという訳ではないのは、「人格の自分(自我)」で『奇跡講座』を徹底的に取り組むと、最終的にまったくうまくいかないという限界を手にすることができる。 (ワプニック氏は窓から奇跡講座を投げ捨てると表現)
それもまたアリかもしれない。
『講座』を学んでいる途中で、この本を窓から投げ捨てたり、誰かに向かって投げつけたりしたくなる時期を通らないとしたら、その人はおそらく、『講座』をちゃんと学んでいないということになると思います。
奇跡講座入門 講話とQ&A 第1章 『奇跡講座』の背景 (P.36) より
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