いくつかの間違いだけを訂正してもらおうと差し出し、その他は自分のもとに置いておくのが安全だと信じているあなたは、正義とは全的なものだということを思い出しなさい。 部分的な正義などというものは存在しない。 もし神の子が有罪であるのなら、彼は咎められており、正義の神からの慈悲を受けるに値しないことになる。 しかし、あなたが彼を有罪と見なし、彼が死ねばいいのにと思っているからといって、神に彼を処罰してほしいと求めてはならない。神はあなたに、彼の無垢性を見るための手段を差し出している。 見るべくそこに存在しているものをあなたが見ようとしないという理由で彼を処罰するとしたら、それは公平なことだろうか。 あなたが問題を自分ひとりで解決するためにとっておいたり、解決法のない問題だと判断したりするたびに、あなたはその問題を大きくし、癒される望みのないものにしたのである。 あなたは、正義という奇跡が公正であり得るということを否定している。
奇跡講座テキスト 第26章 二 多くの形態、一つの訂正 5.