防衛されるべく隠された信念として大切にされているものとは、特別性に対する信であるにすぎない。 特別な者たち(特別性に信を置く者たち)だけが、敵をもつことができる

 認識されてはいないが、防衛されるべく隠された信念として大切にされているものとは、特別性に対する信であるにすぎない。 これは多くの形をとるが、の被造物の実在性およびわが子に与えた壮大さと、常に衝突する。 それ以外に何が攻撃を正当化できるだろう。 相手の自己が、自分の知っている自分の自己でもあるとき、誰が相手を憎むことができるだろう。 特別な者たちだけが、敵をもつことができる。 彼らは異なっていて、同一の存在ものではないからである。 そしていかなる種類のものであれ、相違というものはすべて、実相に序列があると見なすことを余儀なくさせ、判断することの必要性から逃れられなくする。

 

奇跡講座テキスト  第24章  一 愛の代替としての特別性  3.