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罪悪への信念は、地獄への信念に至るはずであり、常にそのようになる

 自我の時間の使い方は、何と荒涼として絶望的なものだろう! そして、何と恐ろしいことだろう! というのも、未来を過去と同じにしようとする自我の狂信的な執拗さの裏には、それよりもはるかに陰険に平安を脅かす脅威が隠されているからである。 自我は、その最後の脅威について吹聴はしない。 なぜなら、自我の信奉者たちに、それでも自分たちをそこから逃れさせてくれるのは自我なのだと信じさせたいからである。 しかし、罪悪への信念は、地獄への信念に至るはずであり、常にそのようになる。 地獄に対する恐れが経験される方法として自我が容認するのは、地獄をここに運んでくることに限られるが、それはあくまでも未来の前触れとしてここに運ぶのである。 なぜなら、自分は地獄に落ちるにふさわしいと考えている者は、処罰が平安の内に終わるとは信じることはできないからである。

 

奇跡講座テキスト 第15章  一 時間の二つの用途  6.