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最後の審判は、「それ(幻想/知覚)には意味はなく、存在しない」という、幻想に対し真理が下す審判であり、知覚に対し智識が下す審判である

 神の子が信じているものは、どんなものも決して破壊されない。 しかし、彼にとって真理となっているものは、彼が行うことになる最後の比較へと運ばれなければならない。 その比較とは、すなわち、為され得る最後の評価、この世界に対する最後の審判である。 それは、「それには意味はなく、存在しない」という、幻想に対し真理が下す審判であり、知覚に対し智識が下す審判である。 これはあなたによる決断ではない。 それは単純な事実を単純に述べただけのものにすぎない。 しかし、この世界の中には単純な事実は存在しない。 なぜなら、何が同一であり何が違っているかが、曖昧なままになっているからである。 そもそも選択するために必要不可欠な唯一のものが、この区別である。 そしてここに、二つの世界の相違が存在する。 この世界の中では、選択は不可能なものとなっている。 実相世界においては、選択が単純なものになっている。

 

奇跡講座テキスト  第26章  三 境界地帯  4.