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見過ごすことはあなたがすることではない

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 「誤りを見過ごす」。

 

 ややもすると、誤りを見ないようにする、見て見ぬふりをする、などさまざまに誤解される要素満載のフレーズです。

 

 今回は、このことについて考察したいと思います。

 

 

見過ごすことは「赦す」こと

 ずばり、テキスト9章に答えがあります。

 

 

 

赦すことは見過ごすことである。

 

 奇跡講座テキスト 第9章  四 聖霊による赦しの計画  1. より

 

 

 

 

 

 

見過ごすことは聖霊の役目

 「誤りを見過ごす」。 これについては、JACIM別館のQ&Aの質問のところでJACIM加藤さんが丁寧に答えてくれています。

 

 そちらによると、「真の赦しが起こったときには、必ず、誤りが見過ごされています」とあります。

 

 真の赦し、つまり奇跡が起きたとき、赦しが完了したとき、それは間違いなく「誤りが見過ごされた」、「誤りの見過ごしが行なわれた」、「誤りの見過ごしが起きた」ということです。

 

 

 ですが、これは私たちが行なうことではない、ということです。

 

 

 つまり、聖霊が行なうステップのことだということです。

 

 

 これは赦しの3つのステップでいうところの、3番目のステップである、「入れ替えられるようにする」(ワークブックのレッスン23より以下引用)の部分です。

 

 

 

 この変化のために必要なのは、まず、原因が識別され、その後、手放されて、入れ替えられるようにすることである。 このプロセスの最初の二つのステップは、あなたからの協力を必要とする。 最後のステップにはそれは必要とされない。

 

 奇跡講座 ワークブック編 第一部  レッスン23 5. より

 

 

 

 引用にあるとおり、私たちが行なうステップではありません。

 

 では、「誤りを見過ごす」とは私たちは何もしないことなのでしょうか。

 

 聖霊にただお願い、丸投げすればいいということなのでしょうか。

 

 

赦しのステップ1番目と2番目をしっかりと行なうこと

 「誤りを見過ごす」ことは、聖霊へ丸投げすることではない、とQ&Aの回答にはあります。(結果、丸投げに見える場合もあるが、「聖霊への丸投げ」以上のことを教えているとあります。)

 

 

 ここでおさらいすると、赦し、すなわち、「誤りを見過ごす」ことは、赦し3つのステップの1番目と2番目を完了すれば、3番目は自動的に起きるということでした。

 

 

 ですので、「誤りを見過ごす」とは、私たちの赦しにおける自分の役割をしっかり行なう、ということです。

 

 

 つまり、「誤りを見過ごす」とは、赦しの3つのステップの1番目と2番目を遅滞なく行なう、ということになります。

 

 

 

 詳しくは、『JQA#14: 「赦しの3つのステップ」が正しく行われたかどうか』のJACIM_KATOさんのコメント部分にある回答をご覧ください。

 

https://www.jacim.com/jcm/?p=1245#comment-62