これは必然の成り行きではないだろうか。 恐れから命じられて、肉体は罪悪を追求する。 そしてその主人が罪悪に惹かれていることにより、肉体の存在についての幻想全体が維持されている。 ということは、これは苦痛の魅力だということになる。 この知覚に支配されて、肉体は苦痛の召し使いとなり、忠実に苦痛を追求し、苦痛は楽しみであるという考えに従うことになる。 自我が肉体につぎ込んでいるすべての多大な思い入れの根底にあるのが、この考えである。 そして、自我が隠し続け、それでいながら、自分の糧としているのが、この狂った相関関係である。 自我はあなたに対しては肉体の楽しみは幸せであると教える。 だが、自分自身には、「それは死だ」と囁く。
奇跡講座テキスト 第19章 四 平安への障害 B. 第二の障害 ― 「肉体は、それが提供するもののゆえに価値がある」という信念 ⅰ. 苦痛の魅力 13.