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救済者の心眼は、完全に開かれた心に仕える。 それ(救済者の心眼)は(まだ真には)知らないので、(聖霊によらず単独では何も)判断することができない。 このことを認識しているそれ(救済者の心眼)は、ただこう問うだけである。 「私が見ているものの(真の)意味は何だろうか」と。 そうして、(聖霊により)答えが与えられる

 救済者の心眼ヴィジョンは、あなた自身に下されたあらゆる裁きから自由であるのと同じく、兄弟が何であるかということにも関わりないものである。 それは誰の中にも、いかなる過去も見ない。 このようにして、救済者の心眼ヴィジョンは、完全に開かれた心に仕える。 それは、古い概念によって曇らさせることなく、現在が抱えているものだけを見る準備ができている心である。 それは知らないので、判断することができない。 このことを認識しているそれは、ただこう問うだけである。 「私が見ているものの意味は何だろうか」と。 そうして、答えが与えられる。 内なるキリスト心眼ヴィジョンに敵対して長い間大切にされてきた古き想念や往古の概念のベールの向こうを見たいと、無垢性の中で求める者に対し、扉が開かれ、キリストの顔が輝く。

 

奇跡講座テキスト  第31章  七 救済者の心眼ヴィジョン  13.