救済者の心眼は、あなた自身に下されたあらゆる裁きから自由であるのと同じく、兄弟が何であるかということにも関わりないものである。 それは誰の中にも、いかなる過去も見ない。 このようにして、救済者の心眼は、完全に開かれた心に仕える。 それは、古い概念によって曇らさせることなく、現在が抱えているものだけを見る準備ができている心である。 それは知らないので、判断することができない。 このことを認識しているそれは、ただこう問うだけである。 「私が見ているものの意味は何だろうか」と。 そうして、答えが与えられる。 内なるキリストの心眼に敵対して長い間大切にされてきた古き想念や往古の概念のベールの向こうを見たいと、無垢性の中で求める者に対し、扉が開かれ、キリストの顔が輝く。
奇跡講座テキスト 第31章 七 救済者の心眼 13.