攻撃は、キリストを敵にし、神をも一緒に敵にする。 このような「敵」がいれば、あなたは恐れずにはいられないのではないだろうか。 そして、自分自身を恐れずにはいられないのではないだろうか。 なぜなら、あなたは自分自身を傷つけ、自分の自己を自分の「敵」にしたからである。 そして今やあなたは、自分が自分ではなく、自分自身とは異質なもの、「何か別のもの」、愛される代わりに恐れられるべき「何か」であると信じなければならない。 完全に無垢であると自ら知覚するものを攻撃しようとする者などいない。 そして、攻撃したいという願望があれば、無垢性を望みながらもそのような願望を維持している自分は有罪に違いないと、誰が考えずにいられるだろう。 誰が、神の子を無垢と見ながら、彼の死を望むことができるだろう。 あなたが兄弟に目を向けるたびに、あなたの前にキリストが立つ。 あなたの目が閉じられているからといって、キリストは居なくなってはいない。 だが、自分の救済者を探し求めたところで、盲た目を通して彼を見ているなら、そこに何が見えるだろうか。
奇跡講座テキスト 第25章 五 無罪性の状態 2.