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死を恐れている者たちは、自分がどれほど頻繁に、どれほど大声で死(自我)に呼びかけて、死を招いているかがわかっていない。 死へと逃げ込むこと(分離/自我の目的)は、葛藤の終わりではない。 神の答え(贖罪/聖霊の目的)のみが、葛藤の終わりである

 死を恐れている者たちは、自分がどれほど頻繁に、どれほど大声で死に呼びかけて、親交コミュニケーションから自分を救いに来てほしいと死を招いているかがわかっていない。 なぜなら、死がすなわち安全と見なされ、真理の光からあなたを救う大いなる闇の救い主であり、神の答えに対する答えであり、を代弁して語るを黙らせるものと見なされているからである。 だが、死へと逃げ込むことは、葛藤の終わりではない。 神の答えのみが、葛藤の終わりである。 死に対するあなたの愛のごとく見えるものは、平安の流れが越えていかねばならない非常に大きな障害のように見える。 なぜなら、その中に、自我のすべての秘密と、欺瞞のための奇妙な仕組みのすべてと、その病んだ想念や荒唐無稽な想像の一切が隠されているからである。 ここに融合を決定的に終わらせるものがあり、ここで自我の作り出したものが被造物を征服し、生命いのちなきものが生命いのちそのものに勝利する。

 

奇跡講座テキスト  第19章  四 平安への障害  C. 第三の障害 ― 死の魅力  ⅰ. 腐敗しない肉体  7.