理性はそれ自体では救済ではないが、平安のために道を開き、救済を与えられることが可能になる心の状態をあなたにもたらす。 罪は平安へ至る道を阻む障害物であり、錠が下ろされていて鍵のない重い扉のようなものである。 理性の助けなしに罪を見るなら、誰もそこを通り抜けようとはしない。 肉体の眼はそれを、硬い御影石のごとくに見なし、その分厚さゆえに、そこを通り抜けようとするのは狂気の沙汰だと考える。 だが、理性は容易にそれを見透かしてしまう。 なぜなら、それは誤りだからである。 それが纏う形態は、それ自体の空虚さを理性の目から隠すことはできない。
奇跡講座テキスト 第22章 三 理性、および、誤りの形態 3.