最良の防衛は、常に、相手の立場を攻撃することではなく、真理を擁護することである

 最良の防衛は、常に、相手の立場を攻撃することではなく、真理を擁護することである。 判断基準の枠組み全体を逆転させなければ正当化できないような概念であれば、それを受け入れるのは賢明ではない。 このようなやり方は小規模に適用された場合は苦痛を伴い、大規模な場合にはまぎれもなく悲劇的となる。 迫害というものは、神ご自身が救済のために神の子を虐げたというような、恐ろしく誤った知覚を「正当化」しようとする結果になることが多い。 このような言葉自体が無意味である。 これを克服することがこれまでとりわけ難しかった理由は、その誤り自体は他の誤りよりも訂正が難しいわけではないが、多くの人々が、そこに防衛としての傑出した価値があると見て、それを手放したがらなかったからである。 もう少し穏やかな例を挙げれば、親が子供を打擲ちょうちゃくしながら、「こうするとき、お前よりも、私のほうがもっと辛いのだ」と言うことで、それが免責されるように感じる、というものである。 私たちの父なる神が本当にこのような考え方をすると、あなたには信じられるのだろうか。 このような考え方のすべてが一掃されることがきわめて重要なので、私たちはこの種の考えがあなたの心の中に微塵も残らないようにしておかなければならない。 私は、あなた・・・傍点)の悪行のために「処罰」されたのではない。 いかなる形のものであれ、この種の歪曲に冒されるなら、贖罪が教えている完全に柔和なレッスンは失われてしまう。

 

奇跡講座テキスト 第3章  一 犠牲のない贖罪  2.