時間は、非神聖な関係にとってはまことに不親切なものである。 (特に愛の)非神聖な関係の魅力は、ほとんどすぐに色褪せ始め、疑わしいものになる。 ひとたびそうした(特別な愛の)関係が形成されれば、疑念が入り込まずにはいない。 その目的(他者との融合による不完全性の解消/理想の自己の完成)そのものが、不可能なものだからである

 時間は、非神聖な関係にとってはまことに不親切なものである。 時間は、柔和な目的に使われれば親切なものだが、自我の手にかかればまさに残酷そのものだからである。 非神聖な関係の魅力はほとんどすぐに色褪せ始め、疑わしいものになる。 ひとたびそうした関係が形成されれば、疑念が入り込まずにはいない。 なぜなら、その目的そのものが、不可能なものだからである。 非神聖な関係が「理想」とするのは、相手の実相が入り込んできて夢を「台無しにする」ことがないような関係である。 そして相手がその関係に真にもち込むものが少なければ少ないほど、「より良い」関係となる。 こうして、融合の試みが、融合を共に達成しようとした相手でさえも除外する方法となってしまう。 というのも、もともとそうした関係は、その相手をそこから追い出し、普段の「至福」の中でさまざまな空想とつながるために形成されたものだからである。

 

奇跡講座テキスト 第17章  三 過去からの影  4.