肉体には何も解決できないのだから、肉体に関する想念(自我の思考体系/自我の獲得思考)は、不信のしるしである

 状況とは想念同士がつながり合ったものなので、状況も一つの関係である。 もし問題が知覚されるなら、その理由はそうした想念同士が衝突していると判断されているからである。 しかしこれは、真理をゴールとしているならあり得ないことである。 そこには肉体についての何らかの考えが侵入したに違いない。 なぜなら、心は攻撃できないからである。 肉体には何も解決できないのだから、肉体に関する想念は不信のしるしである。 そうした想念がその関係に侵入するということは、その状況に関するあなたの想念における誤りであるが、今度はそれが、あなたの信の欠如を正当化するものとなる。 あなたはこうした誤りを犯すだろう。 しかし、それは少しも気にかけなくてよい。 誤りは問題ではない。 信のもとに運ばれた不信が真理を妨げることはない。 しかし真理に敵対して・・・・傍点)用いられる不信は、いつでも信を破壊してしまう。 もしあなたに信が欠けているのなら、それが失われた所でそれが回復されるよう求めなさい。 そして、あたかもそれが不当にあなたから奪い取られたかのように、どこか別なところで埋め合わせをしてもらうことを求めてはならない。

 

奇跡講座テキスト 第17章  七 信を求める呼びかけ  3.