怒りは、他人のせいにされてはならない。 自分が攻撃されたと信じ、それに対する反撃が正当化されると信じ、そのことに自分は何の責任もないと信じるのでない限り、怒りが生じることはあり得ない

 怒りと攻撃の関係は明白だが、怒りと恐れの関係は必ずしもそれほど明らかではない。 怒りは常に分離の投影を伴うが、それは究極的には自分の責任として受け入れられるべきものであり、他人のせいにされてはならない。 自分が攻撃されたと信じ、それに対する反撃が正当化されると信じ、そのことに自分は何の責任もないと信じるのでない限り、怒りが生じることはあり得ない。 これら三つの全面的に非理性的な前提が与えられたなら、兄弟が、愛ではなく攻撃を受けるにふさわしいという、同様に非理性的な結論が必ず導き出される。 狂気の前提からは、狂気の結論以外に何が期待できるだろうか。

 

奇跡講座テキスト 第6章  序   1. /1