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肉体は、自我が安全と感じる唯一の自己認識である。 自我にとっては、肉体の脆弱さ自体が、「あなたが神からのものではあり得ない」ということの論拠として最高のものとなるからである。 だが、自我は肉体を憎んでいる。 それを自らの住処とするに充分なものとして受け入れがたいからである

 肉体は、自我が選んだ自我の住処である。 それは自我が安全と感じる唯一の自己認識である。 自我にとっては、肉体の脆弱さ自体が、「あなたがからのものではあり得ない」ということの論拠として最高のものとなるからである。 これが、自我が熱心に後押しする信念である。 だが、自我は肉体を憎んでいる。 なぜなら、それを自らの住処とするに充分なものとして受け入れがたいからである。 ここで、心は実際にまごついてしまう。 心というものは本当に肉体の一部であり、肉体が心の保護者だと、自我から教えられているというのに、その上でさらに、肉体は心を保護することはできないとも教えられているからである。 したがって、心は、「守ってもらうためには、私はどこへ行けばいいのか」という疑問を抱く。 それに対し自我は、「私を頼りなさい」と答える。 しかし、自我自身が自らを肉体と同一だと主張してきたのだから、守ってもらうために自我自身に頼ることには意味がないと、心は自我に思い出させる。 そして、心が抱くこの懸念は根拠のないものではない。 自我はこれに対する真の答えをもちあわせていない。 もともとそれに対する答えなどないからである。 しかし、自我には一つの典型的な解決策がある。 心の自覚の中からその疑問を消し去ってしまうのである。 ひとたび自覚されなくなると、その疑問は心もとない気持ちを生み出すことがあり得るし、実際に生み出すのだが、それが問われることは不可能となるので、答えられることもあり得なくなる。

 

奇跡講座テキスト 第4章  五 「自我と肉体」という幻想  4.