恐れとは、決して正当化されない判断である。 恐れが存在しているということは、あなたが恐ろしい脚本を書き、それに即して恐れているということを教えているだけであり、他には何の意味もない

 一つの恒常的な目的だけが、出来事に安定した意味を賦与することができる。 しかし、それはすべての出来事に一なる意味だけを授けるものでなければならない。 もしそれぞれの出来事に異なった意味が与えられるとしたら、それらは異なった目的を反映しているということになる。 そして、このことが、それらの出来事がもつ意味のすべてである。 これが意味と言えるだろうか。 意味が意味しているものが、混乱だということがあり得るだろうか。 知覚は、絶え間なく転変しつつ、安定した意味をどこかに受け入れることなどできない。 恐れとは、決して正当化されない判断である。 恐れが存在しているということは、あなたが恐ろしい脚本を書き、それに即して恐れているということを教えているだけであり、他には何の意味もない。 しかしそれは、あなたが恐れているものそれ自体に恐ろしい意味があるからではない。

 

奇跡講座テキスト  第30章  七 新しい解釈  3.