最終更新: 作成開始: 4-04-10 最後↓
単に神の意志を選択すること、それは神への攻撃である
私は日頃から「自分を愛しなさい。 自分は本当のところどうしたいのかを自分自身に聞きなさい。 自分の意志を確認し尊重しなさい。」と申し上げて来た。
あなた方は神の意志は確認しても、あなた自身の意志は確認しない。 それどころか無視する。
確かに神の意志は赦すことである。
だからと言って、あなた自身のほんとうの思いは気に掛けず、無視をし、あるいは放棄し、ないがしろにしたまま、つまり聞かないままに、ただ単に神を愛そうとする。 自分のことは手放したとうそぶいて神の意志に沿おうとする、従おうとする。 そうやって赦しを選択する。
盲目的に。 あるいは強制的に。
そうではないんだ。
神は赦すことを意志してはいるが、あなたの意志は神よりも優先されると述べている。
神は干渉しない。
干渉すれば神が神でなくなる。
だから神は神自身の意志を尊重するがゆえに、あなたの意志を神は尊重する。 それが神の意志であり、キリストですらあなたの意志に反して何かを行うことは不可能である。
もしあなたがあなた自身を無視して、あるいは尊重せずして、思いを確認せずして、神の意志である赦しを選ぶということは何を意味するのか。
神への攻撃となる。
「あなたがあなた自身に対して行うことは神に対して行うことである。」
神がこんなにも深く愛している者に対して為されることは、神ご自身に対して為されることだからである。
つまり、単なる神への愛や忠誠心や赦しは、 あなた自身を無視しているがゆえに神を無視し、尊重せず、自分自身の思いすなわち神の思いすら確認せずに、赦しを選ぼうとしているという意味を示唆する。
もし今、あなたがあなた自身の真の意志を確認したとして、今はまだ神の意志である赦しを行うという選択には至っていない、一致していない場合はあり得る。 あなたの意志が今はまだ神の意志である赦しを行うということを指し示していないという場合があるということ。 だが、心配しなくていい。 あなたの意志はいずれ神の意志と一致する。
それが信頼だ。 あなた自身への信頼、神への信頼だ。
単に神がそう意志していると奇跡講座に書かれているからという理由で神の意志に従うのではなく、あなたが完全に自発的に選択されなければならない。
これはあなたがあなたの本心としての同意がないままに、あるいは、あなたがあなた自身の真の思いに耳を傾けず、心に強要することによっては選択できない。
つまり神が実際そう意志していようがいまいが、あなた自身が心から、衷心(ちゅうしん・心の奥底 ※マニュアル編 21. 「癒しにおける言葉の役割は何か」に記述)からそうすると意志する、選択することが必要である。
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