自我が探し求める「より良い」自己とは、常に、より特別な自己である。 そして特別な自己を所有しているかに見える者が「愛される」のは、彼から取り上げることができるものがあるからである。 双方がこの特別な自己を互いの中に見るとき、自我は「天国で作られたかのように理想的な融合」を見る。 なぜなら、どちらも自分が地獄を求めたということを認識しないので、天国についての自我の幻想を妨げないからである。 そしてその幻想は、自我が天国を妨害するために彼に差し出したものである。 だが、すべての幻想が恐れからくるもので、それ以外のどこからくることもないというのなら、天国の幻想とは恐れの「魅力的な」形に他ならず、その中に罪悪が深く埋め込まれ、「愛」のような形で現れているにすぎない。
奇跡講座テキスト 第16章 五 完成のための選択 8.