神が創造したもの(神の被造物/あなたや兄弟)が攻撃されることはあり得ない。 宇宙の中にはそれ自体と異なるものは何もないからである。 しかし、異なるものがあれば(あると信じるなら)審判が必要となり、その審判は、「より優れた」誰かから下されるものでなければならない

 が創造したものが攻撃されることはあり得ない。 なぜなら、宇宙の中にはそれ自体と異なるものは何もないからである。 しかし、異なるものがあれば審判が必要となり、その審判は、「より優れた」誰かから下されるものでなければならない。 すなわち、自分が咎める対象と同じになることはできない誰か、その対象よりも「上」に居て、それと比べれば罪のない誰かにより、為されなければならない。 そのようにして、特別性は手段であると同時に目的となる。 なぜなら、特別性は、ただ分け隔てるだけでなく、特別な者たちの「下」に居るかに見える者たちを攻撃することを「自然」かつ「正当」と思わせる根拠となるからである。 特別な者たちは相違のゆえに弱さともろさを感じる。 というのも、彼らを特別にするものとは、彼らの敵に他ならないからである。 それでも彼らはその敵対性を保護し、それを「友」と呼ぶ。 それを守るために、彼らは宇宙と戦う。 なぜなら、それ以上に彼らが価値を置いているものは、この世界にはないからである。

 

奇跡講座テキスト  第24章  一 愛の代替としての特別性  4.