このような状況においては、実際にあなたが間違っていたという事実は別としても、むしろ間違っていたほうが望ましいのではないだろうか。 おそらく「死は生命がかつて存在していたことを示唆する」と論じることはできるが、「死は生命が存在していることを証明する」と主張する者はいないだろう。 死が暗示するかもしれない過去生でさえ、もしそれが死に行き着くしかなく、それが存在していたことを証明するために死を必要とするのであれば、ただ不毛なものだったと言うしかない。 あなたは天国を疑問視するが、以上のことについては疑問をもたない。 だが、もしそれを疑問視したなら、あなたには癒すことも癒されることも可能になる。 それに、あなたは天国を知らないとはいえ、天国のほうが死よりも望ましいとは思わないだろうか。 あなたは知覚の場合と同じく、疑問視することにおいても選択的だった。 開かれた心はもっと正直である。
奇跡講座テキスト 第13章 四 時間の機能 3.