二つの目的のみが可能である。 一つは罪であり、もう一つは聖性である。 その間には何もなく、あなたがどちらを選択するかが、あなたが何を見るかを決定する。 なぜなら、あなたに見えるものは、単に、あなたが自分のゴールをどのようにして達成することに決めたかを、示すにすぎないからである。 幻覚は狂気というゴールの達成に役立つ。 それらは、内側から投影された外側の世界を罪に合わせて調整し、罪の実在性を証しするかに見せるための手段である。 外側には何も無いということは、依然として真実である。 だが、無の上に、すべてが投影されているのである。 投影こそが、「無」に、それがもつ意味のすべてを与えているからである。
奇跡講座テキスト 第20章 八 無罪性の心眼 9.