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あなたの兄弟に、茨の冠(咎め/攻撃)ではなく百合の花(無垢性)の贈り物を、恐れの「贈り物」(罪悪感による誤った投影)ではなく愛の贈り物(赦し/無罪性)を差し出しなさい

 今週は棕櫚しゅろで始まり、百合の花で終わる。 百合の花は、神の子が無垢であるという純白にして神聖なしるしである。 十字架刑という闇のしるしを、旅そのものと旅の目的との間や、真理の受容と真理の表現との間に、入り込ませてはならない。 今週、私たちは死ではなく生命いのちを祝う。 そして私たちは、神の子の罪ではなく、その完全な清らかさを讃える。 あなたの兄弟に、いばらの冠ではなく百合の花の贈り物を、恐れの「贈り物」ではなく愛の贈り物を差し出しなさい。 あなたは片手にいばらを、片手に百合の花を持ち、どちらを与えればいいのか確信できず、兄弟の傍らに立っている。 今、私とつながり、茨を捨てて、代わりに百合の花を差し出しなさい。 この復活祭に私が望んでいるのは、あなたから私へと差し出され、私からあなたへと贈り返す赦しの贈り物である。 私たちは十字架刑と死の中でひとつになることはできない。 また、あなたの赦しが私の赦しと共にキリストのもとにとどまらないうちは、復活は完了しない。

 

奇跡講座テキスト  第20章  一 聖週間  2.