(これまで智識ではなく知覚に重点を置いてきた)この理由は、(智識を)あなたが知ることができるようになるには、その前に(奇跡、すなわち赦しによって)知覚が整理されなければならないからである。 (智識を)知るということは、確かだ(全一に知っている)ということである

 私たちはこれまで知覚に重点を置いてきたが、智識についてはまだごくわずかしか触れていない。 この理由は、あなたが知ることができるようになるには、その前に知覚が整理されなければならないからである。 知るということは、確かだということである。 不確かさとは、あなたが知っていないということを意味する。 智識は力であるが、それは智識が確かなものだからであり、確かさは強さである。 知覚は一時的なものである。 空間と時間を信じる信念の属性の一つであるため、知覚は恐れにも愛にも影響される。 誤った知覚は恐れを生み出し、真の知覚は愛を育むが、知覚はすべてさまざまに変化するため、いずれも確かさをもたらすことはない。 だからこそ、それは智識ではないのである。 真の知覚は智識の基盤とはなるが、知るということは真理の肯定であり、あらゆる知覚を超えている。

 

奇跡講座テキスト 第3章  三 知覚 対 智識  1.