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癒しが必要なのは、ここ(肉体ではなく心の中/妄想的思考体系)である。 癒しが存在するのもここ(同じく心の中)である。 病気と癒しは、一緒に存在する

 このことから必然的に生じる妥協は、心ではなく肉体が癒されなければならないという信念である。 というのも、この分割されたゴールは両者に同等の実在性を与えたからであり、そのようなことが可能になるのは、心が肉体へと限定されていくつもの小さな部分に分割され、各部分が全一であるかに見えるが互いに関連性はないという場合のみである。 こうしたことは肉体を傷つけはしないが、妄想的思考体系を心の中に保つことはする。 それならば、癒しが必要なのはここである。 そして、癒しが存在する・・・・傍点)のもここである。 は病気から離れたものとして癒しを与えることはしなかった。 また、病気があり得ないところに治療法を確立することもしなかった。 病気と癒しは一緒に存在する。 そして、真理と幻想はどちらも心の中にあるものであり、それらが一緒に見られるとき、それらを両方とも心の中に保持し続けようとする試みのすべてが、幻想への献身だと認識される。 そしてそうした試みは、真理のもとにもってこられたときには放棄され、いかなる側面においても、いかなる方法によっても、真理と和解させることはまったく不可能なものと理解される。

 

奇跡講座テキスト  第19章  一 癒しと信  6.