平安を防御できると信じ、そのための攻撃は正当化されると信じている者たちは、平安(神の平安)が自分自身の中にあることが知覚できない

 平安を防御できると信じ、そのための攻撃は正当化されると信じている者たちは、平安が自分自身の中にあることが知覚できない。 どうして彼らに知ることができるだろう。 彼らは、殺害の形の中には自分たちの平安を救う手段となるような形もあるという信念をもったまま、赦しを受け入れることができるだろうか。 自分の残忍な目的が自分に向けられているという事実を、彼らは受け入れようとするだろうか。 誰も、敵と結束することはないし、目的において敵と一つになることもない。 そして、敵と妥協している者の中で、依然として、敵が自分に与えずにしまっておいたもののゆえに敵を憎んでいない者はいない。

 

奇跡講座テキスト  第23章  三 妥協のない救済  5.