自我が何のために防衛を望むのかをよく考えてみなさい。 それは常に、真理に逆らい、理性(正しい心/聖霊の見方)に真っ向から対立し、何の意味もなさないもの(罪への信念)を正当化するためである

 自我が何のために防衛を望むのかをよく考えてみなさい。 それは常に、真理に逆らい、理性に真っ向から対立し、何の意味もなさないものを正当化するためである。 このようなものがそもそも正当化され得るだろうか。 これは、あなたを真理から救うための、狂気への招待以外の何だろう。 そして、あなたは自分が恐れているもの以外の何から救われたいというのだろう。 罪への信念は多大な防衛を必要としており、その代価も甚大なものである。 聖霊が差し出しているすべてを相手に防衛しなければならず、そのすべてを犠牲にしなければならない。 なぜなら、罪とは、あなたの平安の一部を切り取ってそこに刻み込まれ、障害物となって、あなたと平安の帰還との間に置かれているものだからである。

 

奇跡講座テキスト  第22章  五 弱さと防衛の姿勢  2.