カテゴリ:カテゴリ)T22Ⅴ



 何かについて防衛する必要が生じるように感じるとき、あなたは自分自身を幻想と同一視しているということを忘れてはならない。 そうなると、あなたは孤独であるがゆえに自分を弱き者と感じる。 これがすべての幻想の代価である。 どの幻想も一つとして、あなたが分離しているという信念を土台にしていないものはない。...
 兄弟との融合についてのあなたの自覚とあなたとの間には、ほんのわずかなものしか介在していないということを、あなたが認識できないものだろうか! それが提示している大きさや厚み、重さや堅固さ、土台の確かさと言った幻想に騙されてはならない。 確かに、肉体の眼には、それはまるで山のごとく不動にして頑丈で、巨大な物体に見える。...
 恐れとはなんと弱く、なんと卑小で無意味なものだろう。 愛がつなげた者たちの静かな強さの前では、なんと取るに足らないものだろう! これがあなたの「敵」、宇宙を攻撃しようとする怯えたネズミである。 その攻撃が成功する可能性はどのくらいあるのだろうか。 自分が万能だと告げるその弱々しい鳴き声を無視するのは、難しいことだろうか。...
 だが、平安をそのように断片化することなどできるだろうか。 それは依然として全一であり、そこから何一つ取り去られてはいない。 邪悪な夢の手段も材料も、無であることを見てとりなさい。 真理においては、あなたと兄弟は、何に遮(さえぎ)られることもなく共に立っている。...
 自我が何のために防衛を望むのかをよく考えてみなさい。 それは常に、真理に逆らい、理性に真っ向から対立し、何の意味もなさないものを正当化するためである。 このようなものがそもそも正当化され得るだろうか。 これは、あなたを真理から救うための、狂気への招待以外の何だろう。...
幻想は、真実であるはずのものに対抗する。 対立は、実相からではなく、幻想から生じている。 実相は何に対しても反対しない。 ただ在るだけのものは、防衛を必要とせず、それを差し出すこともしない。 幻想のみが、その弱さゆえに防衛を必要とする。 そして、弱さのみが邪魔をしている真理の道を歩むことが、難しいなどということがあるだろうか。...
 人はどのようにして幻想を克服するのだろうか。 もちろん、力づくや、怒りによるのでもなければ、何らかの方法でそれらに対抗することによるのでもない。 ただ、幻想は実相に矛盾するということを、理性に教えてもらいさえすればよいのである。 奇跡講座テキスト  第22章  五 弱さと防衛の姿勢  1. /1