究極的には、誰もが神の意志を必ず思い出す。 なぜなら、究極的には誰もが必ず自分自身を認識するからである。 この認識は、自分の意志と神の意志がひとつであることの認識である。 真理の前にあっては、不信の徒も犠牲も存在しない。 実相という安全性の中においては、恐れはまったく無意味である。 実在しているものを否定することは、恐ろしいことであるかに見えるだけである。 原因がなければ恐れは実在できず、神のみが唯一の原因である。 神は愛であり、あなたは確かに神を望んでいる。 これこそがあなたの意志である。 これを求めなさい。 そうすれば、あなたは自分に属するもののみを求めていることになるので、それは必ず聞き入れるだろう。
奇跡講座テキスト 第9章 一 実相の受容 9.