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自我は、「罪に呼びかけられているのは恐れではなく愛であり、しかも愛は常にそれに応える」などということが、あり得るとは考えない。 自我は、罪を恐れのもとに運び、処罰を要求する。 実在していると思っているもの(処罰を受けるに値すると思っているもの/罪)を、あなたは望み、それを手放しはしない

 自我は、「罪に呼びかけられているのは恐れではなく愛であり、しかも愛は常にそれに応える・・・・・・・・・・・・・傍点)」などということが、あり得るとは考えない。 なぜなら自我は、罪を恐れのもとに運び、処罰を要求するからである。 だが、処罰とは、罪悪を保護するもののもう一つの形にすぎない。 処罰を受けるに値するものは、実際に為されたに違いないからである。 処罰は常に罪の大いなる保全者であり、敬意を抱いて罪を遇し、その巨大さを崇める。 処罰されるべきものは、真実に違いないというわけである。 そして真実なるものは永遠であるはずであり、果てしなく繰り返されることになる。 実在していると思っているものを、あなたは望み、それを手放しはしないからである。

 

奇跡講座テキスト  第19章  三 罪の非実在性  2.