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肉体の状態は、肉体の機能についてのあなたの解釈だけにかかっている

 肉体に対する態度は、攻撃に対する態度でもある。 あらゆるもについての自我による定義は、常に子供じみており、自我がそれを何のための・・・・・傍点)ものと信じているかに基づいている。 この理由は、自我には真の普遍化の能力がなく、自分の目にとまるものを、自分がそれに付与する機能自体を同一視するからである。 自我は、それをその本質と同一視することはない。 自我にとっては、肉体とは攻撃の手段である。 あなたを肉体と同一視している自我は、あなた自身が・・・・・・傍点)攻撃の手段だと教える。 ということは、肉体の健康の原因は肉体自体ではないということになる。 肉体の状態は、肉体の機能についてのあなたの解釈だけにかかっている。 機能というものは実存から生じているために実存の一部であるが、この関係の逆はなりたたない。 全体は部分を定義するが、部分は全体を定義しない。 だが、智識と知覚の間の根本的な相違のゆえに、一部分を知るということは全体を知るということである。 知覚においては、全体はさまざまな部分から成り立っており、それらは分離したり、さまざまに異なった配置で再編成されたりすることが可能である。 しかし、智識は決して変わることがなく、その配置は恒久不変である。 部分と全体の関係という考えが意味をもつのは、変化が可能な知覚のレベルにおいてのみである。 それ以外のレベルでは、部分と全体に相違はない。

 

奇跡講座テキスト 第8章  八 手段または目的としての肉体  1.