比較とは自我による仕組みに違いない。 愛はいかなる比較もしないからである。 特別性は常に比較する。 それは他者の中に見られる欠乏によって確立され、知覚可能なあらゆる欠乏を捜し出して、それをはっきりと見えるところに保持することで維持される。 特別性が探し求めるのはこれであり、目を向けるのもこれである。 そしてそれがそのようにして貶めるその人は、もしあなたが自分の特別性を測る小さな物差しにするという選択をしていなかったなら、必ずあなたの救済者となったはずの人である。 あなたが彼の中に見ている卑小さを背景にすれば、そこに見えているものとの比較において、あなたは気高く堂々としており、清廉にして正直、純粋にして汚れなきものということになる。 またあなたは、このようにして貶めている相手は自分自身だということも理解していない。
奇跡講座テキスト 第24章 二 特別性の背信 1.