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美しい建物を強調する(獲得志向/物質的成功を重要視する/派手に着飾ったり社会的地位や学歴、才能をひけらかす)ことは、祭壇(思考体系の土台)そのものに到達したくないという気持ちの表れである

 贖罪は、ただ、内なる光を解放することによって、あなたの内側で受け入れられる。 分離以来、防衛はほとんどすべて、贖罪に対して・・・傍点)防衛を固めるために用いられ、それにより分離が維持されてきた。 これは概して、肉体を保護する必要と見なされている。 心が思い描く肉体にまつわる数多あまたの空想は、「贖罪」を達成する手段として肉体を使用できるという歪曲された信念から生じている。 肉体を神殿として知覚することは、この歪曲を訂正する最初のステップにすぎない。 なぜなら、それが改めるのは歪曲の一部だけだからである。 それは、確かに、肉体のレベルにおける贖罪が不可能だと認めはする。 しかし、その次のステップは、神殿とは建物のことなどではないと認識することである。 その真の聖性は内なる祭壇に宿っており、建物はそれを囲んで建てられているだけである。 美しい建物を強調することは、贖罪を恐れているしるしであり、祭壇そのものに到達したくないという気持ちの表れである。 神殿の真の美しさは肉眼で見ることはできない。 一方、霊的視覚は、完璧な心眼ヴィジョンであるから、建物のほうはまったく見ることができない。 しかし、祭壇は、完璧にはっきりと見ることができる。

 

奇跡講座テキスト 第2章  三 神の祭壇  1.