自我による赦しの計画は、神によるそれよりもはるかに広範に用いられている。 なぜなら、それが癒されていない治癒者たちによって担われているからであり、したがって、それは自我に由来するものだからである。 癒されていない治癒者について、ここでもう少しよく考えてみよう。 癒されていない治癒者は、その言葉の定義から言っても、自分が受け取っていないものを与えようとしている。 たとえば、神学者であれば、「私は惨めな罪人であり、あなたもそうである」という前提から始めるかもしれない。 精神療法士であれば、攻撃は彼自身と患者の両方にとって実在のものだが、どちらにとってもそれは問題にならないという、同様に信じがたい信念から始めることになりやすい。
奇跡講座テキスト 第9章 五 癒されていない治癒者 1.