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不快感は、訂正の必要(自我の訂正/つまり赦しを行う必要)を自覚させるために引き起こされるにすぎない

すでに述べたように、聖霊は誤りを見ることはできず、誤りを超えて贖罪という防衛を見ることができるだけである。 これが不快感を生み出すだろうことに疑いの余地はないが、そうした不快感はこの知覚の最終的結果ではない。 祭壇の汚された状態を聖霊に見せるなら、聖霊はただちに贖罪のほうにも目を向ける。 聖霊の知覚するものが恐れを引き起こすことはありえない。 霊的自覚の結果として生じるものはすべて、単に訂正へと向かう通路にされる。 不快感は、訂正の必要を自覚させるために引き起こされるにすぎない。

 

奇跡講座テキスト 第2章  五 奇跡を行う者の機能  7. /2