最終更新日: 最後↓
「怒りは決して正当化されない」。 これは奇跡講座の有名な一文です。
誰しもつい怒ってしまうものです。
この怒りについての話です。
怒ってもいい
奇跡講座には厳格で徹底した文章であふれています。
「怒りは決して正当化されない」(T-30.Ⅵ.1)という有名な文章があります。
これは文字通りその通りなのですが、だからといって「決して怒ってはならない」とはなりません。
もう怒ってしまったのなら仕方がありません。
これを「怒っちゃいけない」、「怒るのはダメ」だとジャッジし抑圧していると、さらに自我の罠にかかってしまいます。
「自分自身と格闘してはならない」(T-30.Ⅰ.1)です。
とにかく、もう怒ってしまったのだから、その選択自体は仕方がありません。
では、その場合はどうしたらいいのでしょうか。
怒りを持ってしまったときの対処
怒ってしまったなら、まず自分が怒った、怒りを持ったということを自覚しましょう。
これが第一歩です。
自分が正当で正しいと明白に思っている場合は、自分の怒り自体に気づかないこともあります。
ですので、今自分が怒った、怒りを持ったことが自覚ができればまずはOKです。
できることなら、怒った後でなく、怒る前、怒りを持ったその時点で自覚できるようになれるとなおいいと思います。
そして次ですが、自分はその怒りをどうしたいのか、自分に聞いてください。
当然、解消したい、すっきりしたい、だと思います。 持っていたいわけではないはずです。
で、次が大事なのですが、その方法はどのやり方を採用するのか、です。
これまでのやり方を採用するなら、怒るです。
相手が悪い、ゆえに相手を責める。 相手を攻撃する、怒鳴る、批難する、です。
まさに自我の投影です。
でも待ってください。 自我の投影がダメということではないんです。
正直に自分に聞いて、怒ることを選択したい自分が居るのなら、それはそれでOKです。
ここでも大事なのは、正直に自分に聞いて自分の本心を聞いてあげることです。
正直さが大事です。
正しいことをすることが大事なのではありません。 正直になることがここでの最重要課題です。
自分の思いと気持ちを一致させることがとても重要です。
これを何度でも繰り返せば、そのうち本心からこの怒りを真に何とかしたいと思うときがくるでしょう。
もう怒りたくない。
そのときはじめて、なぜ自分はそんなにもそのことに対して怒るのか、怒りを持つのかを見に行くことが可能になります。
そこには必ず、こうであって欲しいという相手に対しての理想像が自分の中にあるものです。
そして、その理想像の通りに相手が振る舞ってくれなかった、こちらが期待する役割をその相手が担ってくれなかったということのはずです。
なぜ相手にそのような理想像、役割を設定してしまっている自分が居るのでしょうか。
このあたりを深く探っていくこともまた赦しの実践になっていきます。