いつものごとく上下が転倒した自我は、最初のレッスンを狂っていると知覚する。 実際、それが自我にとっての唯一の選択肢である。 自我にとってはそれよりもさらに受け入れがたいもう一方の可能性は、明らかに、自我のほうが狂っているというものだからである。 ここでも自我の判断は、いつものごとく、自我というものの本質によりあらかじめ決まっている。 それでも、思考する者の心の変化に伴い、根本的変化は依然として起こる。 それまでの間、学ぶ者は、次第に明確になっていく聖霊の声を聞かずにはいられなくなる。 ということは、しばらくの間は、彼は相反するメッセージを受け取り、その両方を受け入れるということである。
奇跡講座テキスト 第6章 五 聖霊のレッスン B 平安をもつためには、平安を学べるように平安を教えなさい。 4.