肉体こそが、非神聖な関係を実在するかに見せるために自我が用いる手段である。 神聖ならざる瞬間とは、すなわち肉体の時間である。 だが、ここにおける目的は罪である。 それは幻想の中以外では達成できず、それゆえに、兄弟は肉体だという幻想は、非神聖という目的にきわめて適したものである。 この一貫性ゆえに、その目的が大切にされている間は、その手段も疑問視されないままである。 見ることは、願望に即したものとなる。 なぜなら、視覚は常に欲求に対し副次的なものだからである。 そしてあなたが肉体を見ているなら、あなたは心眼ではなく裁きを選んだのである。 なぜなら、関係と同じく、心眼にも、序列はないからである。 あなたは見ているか、見ていないかのどちらかである。
奇跡講座テキスト 第20章 七 手段と目的の一貫性 5.